今期の

 ガンパレードマーチオーケストラ、期待してただけあって、ちょっとがっかりしちゃいました。PSにおいての最高のSRPGは間違いなくガンパレードマーチだと思っているんですけど、芝村舞だと思っているんですけど、なんだかなぁ。やっぱり熊本じゃないと駄
目なんでしょうか。というか、ただ単に、一作目が凄すぎただけ?
 「全軍突撃!どこかの誰かの未来の為に!」だったかな?私、PSガンパレのこの台詞が凄く好きなんです。戦闘員の数合わせに子供が使われるような絶望的な戦況において、少年少女の動機がここに来るというのは、凄く焼けっぱちっぽくていいなと思う。この言葉が云われる戦場で、きっとみんな誰の為に何のために戦っているのかもわからずに、それでも命だけは惜しくて銃を構えてる。でもこの現実で、誰の為に何の為に自身が意味を持ち、そしてそれこそが自分を形而下に規定すると誰か断言できますか?「私が死んでも換わりはいるから」と呟いた赤い瞳の少女がいた。中学生の時にTVにしがみついてそれを観ていた私は、小さく舌打ちしたものだった。換わりがいない人間は、しかしいるのだろうかと。人間の、想像を絶するような無価値、無意味を言語化してしまえば楽だと思う。言語は言語の持つその力でもって、総ての対象を「云った」時点で救うことができるからだ。でも、もしも総ての事象が整理され倫理化され画一化されて、この世から総ての戦いが消えうせたとしたら、私達はどこで銃を構えればいいんだろう。どこの戦場に立てばいいんでしょう。
 総ての人間は矮小であるというただその理由で救われる。私は人間小さくて、君も恐らく小さくて、誰かの親も子供も友人も教師も政治ゴロも、そして君が救いたい人もぶち殺したい人もみんな小さくてくだらない。そして美しい。みんなすべからく綺麗でしょう。ああ、今「綺麗」にはどんな意味があるか考えましたか?怖いんですか?意味が無いことがそんなに恐ろしいのですか?いいじゃないですか。無意味なものほど美しい。それが生命の本質でしょう?それこそゲームの本質でしょう?ゲームはくだらない。ゲームは意味が無い。だからおもしろい。
 こんな中学生が如何にも考えそうな陳腐なことを考えながら、ガンパレードマーチをやってたら、全軍突撃!どこかの誰かの未来の為に!ガンパレードマーチガンパレードマーチ!という言葉に妙に感応したりして。若かったなぁ。あの頃は。なんでも楽しめたもの。原田さんに刺されたりだとかね。