終末のダンテ

 暗く、乱雑な部屋にパソコンのディスプレイの光。
 その光を放つラックの前に座りながら
 一人の男がぶつぶつと独り言を言いながらキーボードを打っている。
 無気味な姿。

男「どうしようかなぁ、というのはこれからの僕の日記のスタイルのことです。自分のオタク的な部分を自虐的に見るっていうのは確かに楽なんですけど。キモイって言ってくれる人がいないから…ちょっと自分でやってて辛く…いや辛くっていうのは嘘なんですけど、芸がないかなと。
 ほとんどネギマからの引用なんですけど、その、どうして僕が自身を自虐的に見るのか、説明します。自分のオタクとしての立ち位置、あ、やばい、立ち位置ってモテだぞ…!こいつは…!初めて使った…!を更に客観視するために!最後に要約を4行位で書くと思いますから、そこまでは適当に読み飛ばしてください!いいですか!こういうの堪らないくらい恥ずかしいんですから!読み飛ばしてください!本来はとてもかっこよく、抽象的に片付ける問題なんですからね!それでも何のために書くかというと自分の為です!自分自身のためです!ネギマから引用して、内面化するためです!!」
 
 男の名は岡本。大学4回生にもなるというのに、就職活動もせずに部屋に引篭もっている。
 岡本、キーボードを叩くのをやめ、突然立ち上がり朗々と語り始める。

 岡本「文化、といった場合に日本の場合は勿論のことサブカルチュアが挙げられます。ゲーム、アニメ、漫画等の「文化」ですよね。しかし、ここで語られる「文化」は、文化そのものではありません。何故なら、僕たちは文化そのものの外部にいられないからです。語られる「文化」とは、その語りが開始される位置と意図の標定と言うまさに文化の中でしか行い得ません。そしてその文化の只中で行われる語られる文化は、それ自体が文化的な作業によって、一個の対象として「差異」を見出され分節化された「文化的な事象」なのです。
 言うまでも無く、二つのものの間の差異は、それらが相互に比較あるいは参照が可能で無ければ見出すことは出来ません。その意味で、「文化的な事象」、すなわち、文化的差異の分節化を可能とするベクトルは、社会的諸関係の非対称性にこそあります。非対称性とは、一つの社会的な関係の両極として結び付けられる二者は、存在そのものとしては異なっているということです。そして、権力関係に依存しない社会的関係は存在しません。それゆえに、文化的差異の分節化作業は、必ず何らかの権力性・政治性を帯びざるを得なくなってしまいます。
 文化的差異は、社会的な関係が結び付けている両項のうちの「劣位」の側に常に見出されます。言い換えれば、文化を語る作業は、「マイノリティ」に必ず突き当たるということです。この場合では日本社会におけるオタクも勿論含まれています。ここで注意しておきたいのは、「マイノリティ」とは数の上での多い少ないによるものではないという点です。そう、「マイノリティ」は、文化的差異の分節化に必ずと言っていいほど伴う、社会的なヒエラルキーの設定において構成される、「劣位」に他ならないのです。
 レイシズムを考えてみれば、文化を語る作業が「マイノリティ」を見出すことは明らかだと思います。レイシズムは、例えば「有色の肌」という差異の分節化を伴う。だけど、その場合、工学的に感知される生物としての人の肌が問題なのではないのです。肌の「色」に違いがあるとされ、そこに意味が与えられる機制こそが問題なのです。そして「有色」という特徴が、すなわち文化的に意味付けされた差異が見出されるのは、レイシズムという関係における「劣位」の側のほうなのです。このとき同時に、そうした特徴を持たない「白人」が見出される。「有徴」が能動的に析出される裏側に、「有徴」ではないという意味での「無徴」がいつのまにか受動的に析出されるのです。強調しておきたいのは、有徴と無徴という差異は、決して対称的に分節化されてはいないということです。ある種の支配、従属関係に他ならない権力の効果において、そうした有徴と無徴とは結びついているが、無論のこと支配と従属とは対称を成すものではないのです。繰り返します。<マイノリティ>が見出されるのは、現在の支配と従属を形作る権力のダイナミズムの諸文脈が構成する、文化的差異の分節化のただなかなのです。
 このようにして、「マイノリティ」は、ある権力関係の束縛の中から見出されます。いや、権力関係の束縛の中にしか見出されないと言ってもいい。そして、「マイノリティ」とされる人々は、その人々を見出した関係によって、アイデンティティを獲得し、獲得させられるのです。その際、必ずといっていいほど、社会的な形での暴力が行使されます。それはしばしば差別による排除や忌避、あるいは何らかの抑圧といった現象形態をとるものです。そうした暴力は生活の中での些細なことにまで染みとおり、あたりまえに感じる精神や体のあり方までに及ぶ搾取や収奪に結果します。そして時には―第三世界では日常的に行われていることですが―存在そのものの持つ歴史性や連続性をも抹殺するような、愚鈍な残酷さへと繋がっていくのです。
 こうした暴力と共に「マイノリティ」に与えられ、「マイノリティ」とされてしまったその人々が身に帯びるアイデンティティは、正確には彼、彼女ら自身のものではありません。彼、彼女らのアイデンティティは、社会的な権力関係の参照可能性、あるいは共約可能性の中で始めて構築されうるものだからです。
 「マイノリティ」が自らを「マイノリティ」として表現する時には、必ず彼、彼女らをそうした社会的カテゴリーに分け、そこに追いやった文化的な権力に逆説的に呪縛されています。逆説的な呪縛というのは、次のようなことです。つまり、彼、彼女らのアイデンティティとしての凝縮性は、それらを生み出している権力編成の作り出した網の目の中で初めて形成されるという状況に置かれていると言う事ができるのです。「マイノリティ」という固有の差異は、それ自体では固有性を保つことも構築することも出来ず、参照可能性・共約可能性に依存せざるを得ないというアポリアを抱えているのです。
 そのため、「マイノリティ」が、自らの位置している、位置させられている立ち位置、状況や文脈に深く刻み込まれた暴力を問題化し、告発の叫びを発し(オタクだからこそ女の子を守ります!)、彼、彼女らが行うそうした批判への共感や同意を求めるとき、もう一つ別のアポリアに出会わざるを得ません。それは、「マイノリティ」は、彼、彼女らの「劣位」がいかに矛盾に満ちたものかについて参照可能性を通じて「優位」の側との隔たりを示し、「優位」が「優位」であることを認めつつ同時に否認しなければ、その固有の権利を主張できないというものです。
 「マイノリティ」がかかえる固有の矛盾を「マイノリティ」の位置から批難するということは、そのまま、彼、彼女らのあり方の否定に繋がりかねないものなのです(外見的には6歳にしか見えない幼女を虚構内でどきつくレイプするのを至上の喜びとしている僕ですが、性犯罪はまったく起こしませんよ!僕たちを犯罪者扱いしないでください!)。同時にそれは、「マイノリティ」ではないという属性によってネガティヴに分節化される「マジョリティ」に自らを限りなく近づけるという危険を孕んだものとして現われるのです。

 まぁ、以上を簡潔に抽象的にまとめるならば、マイノリティであるオタクが、いかに声高に自身の2次元への性的傾向を論理的整合性によって擁護しようとしても、「僕はレイプ、監禁を得意とする犯罪者予備軍ですよ」という風にしか、社会的には理解されない。ということです。」
 
 明らかに彼の思想はナルシズムと被害妄想と非論理で構成されていた。
 岡本は誰にも聞き取れない類いの、高音で早口な独り言を続ける。

 岡本「で す か ら!!(固く握った拳を振り上げながら)自らの無辜を主張しても無駄だから、自虐という形で、僕は客観視しようとしたんです!!自身を!そしてなにもかもを!だって、自分を笑えるってことは、ユーモアに見れるってことは自身を客観視できてるってことでしょうが!!そうです。全ての客観性は、対象をどれだけユーモラスに理解できるか、表現できるか、ということに依存していると言ってもいい!!そう僕は考えるんです!!そして自己理解さえできていれば、自身を説明することもまたできるのです。僕はある仮説を立てました!オタクが自身の生態を一般人達に説明する努力を怠っているという言説は間違っているのではないか、と!実はオタクとは、自分を客観的に理解し、説明する能力に欠けた人間のことを言うのではないのか、と!(白目を向いた気狂いの表情で)
 この理論で行けば!(激昂して、掲げた拳を机の上に置かれている虫姫様のフィギアに叩き付ける。粉々に吹き飛ぶ不自然に体のラインを強調された衣服を着た人形)客観性さえ持っていれば−例えば僕が、はじめてのおるすばんで20回以上オナニーしたとか、ファイアーエムブレムを誰も殺さずにクリアする為に小学校を休んで、1000回以上に及ぶリセットの末にクリアしたら単に年表出ただけでぶち切れてしまっただとか、格闘ゲームとストライカーズ1945に没頭する余り高校にも行かなくなり一時期偏差値が40まで落ちたりだとか、小学校6年生くらいのときにシーズウェア信者だったとか、英雄伝説3がリメイクされる度に衝動買いして家に英雄伝説3が3本も4本もあったりだとか、5歳の時に1年がかりでドラクエ3をクリアしただとか、アマランスKHのエロシーンに勃起したりだとか、ブラックオニキスの糞っぷりに切れたりだとか、FF8以降の糞っぷりに切れたりだとか、白き魔女のクリスを一個の人間として愛していることだとか、物心付いたらウィザードリィとかローグをやってたりだとか、―――そういう典型的なゲームオタクだったとしても、一般人に生まれ変わる事ができるんじゃないか、そしたら、僕のブログにも……現実ではトイレに行く時間と同じくらい、もちろん全部の人生分です、の時間しか会話したことのない女性という実存が、もしかしたら………(眼球に涙が溜まってくる)アンテナを張ってくれるんじゃないか、そう信じたんです!
 以上の思想を持ってして、僕は主張します!僕はオタクです!(濁流の、妙な物質で澱んだ液体を眼球から垂れ流しながら)僕はキモイですよ!!外見的にも、内面的にも!!!見てくださいよ!ほら!僕、実は今回のブログでは、テンション低くいくつもりだったんですよ!!この「!」を使わないはずだったんですよ!!だって、なんだか……女の子に……モテ無さそうだし……でも無理だった!僕は結局は一個の汚らしい………オタクでした!エキセントリックに、ハイテンションに振舞うことを自身のキャラ立ちと信じてはばからないオタクの特性が、しっかり根付いているんだ!!」

 岡本、立ち上がり拳を握り締める。爪が掌の皮膚に食い込み、血が流れてくる。

 岡本「は。わかってるよ。オタクのくせに女にリンク張ってもらうなんていうのがどれほど無謀なことか。いくら客観性があるからって、それで俺のどきつい童女愛好が癒えるわけじゃない。こんな、いかにもモテそうな文章ばっかり書く人間だらけのはてなダイアリーで、オタクの脆弱な客観性なんてなんの役にも立たない。それでも、自分を客観視し続けていくしかないって、頭では……知ってた!
 同じはてなでモテそうな文章書いてる大学の先輩も、ギャラクシーエンジェル好きのドアニメオタクのくせして外見的にはモテとしか言いようがない友人も、女性の腸でオナニーするのが大好きな月姫信者も、みんな俺が無謀だって言う。世間知らずの甘ちゃん、何不自由なく育てられたオタクだって。そんな風に言われて俺はどうしろっていうんだ。努力するしかないだろうが。あいつらに「オタク」だからと言わせないために、客観力をつけるしかないだろうが。ああ、もちろん努力したさ。一般人になりたかった。本当に、テキストサイトの人達みたいになって、女の人にモテてみたかった。そのためならどんな苦労だって、苦しい自己断罪だって乗り越えてみせられる自信があったんだ。だってそうだろう。俺よりもたくさんのゲームをクリアした人間なんて今まで周りにいなかったし、俺よりもたくさんライトノベルを読んだやつだっていなかった。テキストサイトの人達はいかにも抽象的な、カッコイイ言葉を使うって知ってから、俺も必死になって覚えた。俺の書く文章は抽象的で…誰よりも抽象的だった。――ただ、俺が一般人じゃなかったってことだけだ!!!」

 途端、徐々に砂塵と化し始める彼の部屋。パソコンのディスプレイが点滅し始める。
 岡本の膝が急に震え始める。前のめりに倒れる岡本。彼は握りつぶしていた虫姫様の「レコ」フィギアの残骸を、床に叩き付けた。

「どうして諦めなくちゃならないんだ!俺はなんだって乗り越えてきた。勉強ならいくらでもする。抽象的な事柄の暗記だって、文章力だって、もてそうな態度だって、努力して何とかなるなら何でもやってやるよ。なのにどうしてダメなんだ。俺は一般人になりたいんだ。もてたいんだ。あきらめたくないんだ。生まれつき決まってる運命なんて信じない。努力すればなんでも手に入れられるのでなければ、人間は誰も前には進めないじゃないか、そうだろうが!」

 彼の部屋はほとんどが砂と化し、点滅を繰り返すパソコンだけが残った。
 岡本は信じたくなかった。あの、テキストサイトの人達のように自分がどんなに恵まれているのか自覚も無いような人達が、この自分よりもモテるなどということが認められなかった。それは客観性は全ての性的嗜好に優越するというのが、岡本の唯一の思想だったからだ。
 ――けれど、モテようとしても、モテようとしても切り離せないものがある。

「あ………あきらめたくないよぅ……」

 岡本は顔面をグシャグシャに濡らしながら、何度も足元の砂を握り締めた。

「ゲームが、好きなんだ!!幼女が、好きなんだ!!それでもモテたいんだ!!……人間として、生きたいんだ!!一個の生物として…認められたいっっっ………!!!もう、牛や豚と同列に扱われるのはたくさんだっっ!!!!」
 
 彼は自分の顔が砂まみれになるのもかまわず、砂山の上に突っ伏した。

「一般人になりたいんだ。ゲームを捨てること以外だったらなんだってする。なんだってするよ、してきたんだ。それのどこが悪い!何が足りないんだよ!……ど、どうして俺だけ……。こんなのどうやったって認めない。……あきらめるもんかっっ……!!」

 そして点滅を繰り返していたディスプレイが光輝く。

「は。おまえだけは、俺に味方してくれるんだな…」

 どこか負け惜しみのようにそう呟く岡本。ほっとしたのと同時に、いままで我慢していた嗚咽がこぼれてきた。

「うぐっ…、うぐぅぅぅぅっっ…」

 彼は必死に堪えようとしたが出来なかった。岡本は、自身が社会的な意味で人間ではないということに致命的に気付いてしまった。

……そして岡本は、自身がオタクであるという事実に、絶望した。

「ウグゥウウうううううううううううううううううううぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 真っ暗になるスクリーン。
 映画の観客達は、この富が不足なく行き渡ってしまった、本来の社会的弱者の消えた、閉塞した日本的資本主義社会における存在しない弱者を認識するための装置……オタクというラベリングがまだ維持されていることに安堵し、次々と外へ、彼らの現実へと帰っていく。
 そこに、彼らなりの絶望が待っていると知りながら。